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2018

18年11月
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雪が降る前に、たまっていた丸太の製材を急ぐ。
直径70-80cmくらいの丸太を製材したのは今回が初めてだった。
クルミだと思う。断面の亀裂から製材方向を決めて、
面倒でしかも危険だが何度も機械の上で丸太をゴロゴロ回しながら切っていったら、
手間はかかるが節の無い美しい材が大量に取れた。
​
​古い機械を使うからだと思うが、
​製材機は扱う人間にまったく合わせてくれない。人が機械に合わせて動くしかない。
自然に育った
不整形な丸太をその機械に投入するというのは気を使うことばかりだ。
かなりごつごつした楕円形なので、すぐ転がってしまう丸太。
​下敷きになれば大けがでは済まないし、
投入角度が決まって無事に帯鋸(おびのこ)で切れたとしても反対側で押さえてやらないと
材がはねて材が傷ついたり事故のもとになる。

製造工場のような安全管理の唱和もない。
腰痛を未然に防ぐための運搬重量の制限は誰もかけてくれない。
危険を感知して緊急停止してくれるセンサーもない。
均一な投入素材なんてものは絶対に期待できない。
CADソフトウェアに期待するようなアップデートを機械にも素材にも期待できない以上、
(もちろん不具合が起きたら自分で何とかするしかない)
自分が変わるしかない。要は、まあそういうものなんだと、
PCの前にいたり会議室で発言している時の自分とは
全く違う人間にならなければいつか怪我するというのは
自分にはどうすることも出来ない事実なんだと認めるしかない。
​
代わりにというか仕方なくというか、
そんな日は一日の終わりに自分がアップデートしてることに気づく。
​PC周りはいつまでも片づけられないのに、その何倍も広い製材所の掃除、整理整頓を徹底的にやってしまう。
​それが自分にとって生きるということと、面倒な理屈抜きで強烈に紐づいてしまっている。
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初めて林檎の木を製材してみた。.予想以上に木目が綺麗でちょっと驚いた。
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製材してみてまあ、これは世の中なかなか出回らないわと思った。
伐採の問題も(リンゴ園にチェンソー持っていく?)あるが、ねじ曲がってて、ちょうどよさそうなところで切ると、
背丈が短くなる。で、短いと最近の製材機では扱えないらしい。
我が家にある戦後すぐに作られた製材機は問題なく製材できたが、
​最近の製材機はそもそも短い材を想定して設計されていないらしい。

材も硬いし、薄く製材したらすぐ反りそうだったので厚めに曳いた。
さあ何に使おうか。

今月の赤谷の森活動日。
湿地の水位を確認して、整備作業。
一休みに、落ち葉の上で淹れる珈琲は格別に美味しい。
今回はつくばの友人が参加したが、それと知らずセンブリのつぼみをかじって悶えていた。
一か月分の忙しさをリセットしてくれるような休息、
日常では出会えない小さな冒険、
また来年も味わえるだろうか。
​

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服装とか姿勢とか色々ツッコミどころのある女子も参加
クマタカ調査に同行させてもらった。
生き物相手のリサーチはなかなか大変だが無線で情報共有しながら鳥の生態に少しずつ迫っていく。
ひとつの小高い山、尾根すじの方角とか、人間にとっては大した意味を付与できないそういったものにも、
空飛ぶ存在にとっては明確な意味があるらしい。
巣と狩場という、生命維持空間が自然形状に大きく制約を受けているということ。
森の内側にいると近すぎてなかなか気づけない視点だ。
自分の知らない森の姿が、まだまだたくさんある。
だからアカデミックな調査が必要とされるのだろう。
​
調査というとどこか堅苦しく聞こえるが、
僕たちはヒトであってデータ処理装置ではない。
ヒトとして根源的に知りたいのは多分、客観的な事実などではなくて、
クマタカが見る山、川、森は一体どんな姿なのだろうか、だと思う。
長年調査を続ける人たちの会話の端々からそれを感じる。
​
観察と推論。
それが人類の得た大切な能力なんだと教えられた気がする。

自分自身は、最近そういった能力を鍛えていないなと思う。

シンプルな答え。見える化されたデータ。
そして、、情緒的な物語。

そんなものが好きだ。
手頃で、人に伝えるのがラクなほど(ミスコミュニケーションが起きにくいほど)いい。
しかしそれは、自然が相手となると必ずしも得策ではないようだ。
何となくだが、観察と推論の放棄と物語指向は同義であるような気がし始めた11月。
観察と推論は個人的なものだが、物語はシェアされる。
観察と推論は現場のものだが、物語は駆け巡る。
当たり前のことだが、物語を作るのも人類の得た大切な能力だ。
専門家でない普通の人が自然を見るとき、言語化された意味を欠くと、
ただの風景になってしまう。

結論は分かり切っている。
森とだけ向き合って生きていくことは現代では不可能だ。
個人的な観察と推論だけでは森も人も老いていくだけだ。
ならばやるべきことは、物語の質を上げることではないか。
課題の抽出は現場で正しく行われているか。
解決策は社会に正しく認知されているか。

18年10月

夏が過ぎ紅葉はまだ来ない。虫も息をひそめ、エサを探して木から木へ飛び回る小鳥以外、
世界が止まったようなこの数日。ナウシカの「ババさま、風がやんだよ」状態。
​あと
一週間もすれば、工房の周りの森の色は一気に変わり始める。

今年はグリンカレーにレモングラスを大量にぶち込むレシピに変わり、お弁当では結構ウケが良い。
雪国なので冬は越せないレモングラス。南国だったら年々かぶがでかくなるのだろうなぁ


毎年この時期にはサイロを仕込む。冬の間のヤギのごはん。
とうもろこしは糖度が高いので乳酸発酵が進んで食べが良い。
高校か大学生だった頃に一度カヤで代替品を作ったが、全然食べてくれなかった。
つくってるところを先輩に見られて恥ずかしかった記憶が。。。。

18年9月

今年最後のBBQは縄文バーべ?なぜか土器が集まり、なぜか土器作り始めるし、なぜか黒曜石で熊肉を切って石で焼いて食うという奇天烈な会に。そして酔えば誰も彼もが山の中。。。

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